認証式および記念撮影を見ていて、いくつか気になることがあった。縦縞柄ではなく、また小さな格子柄でもなく、無地に近いシャークスキンのパンツを着用した閣僚がいた。ロイヤルーアスコットなどパーティーに等しい場に出席するならば、グレイで共地のモーニングコートも許されるが、皇居での認証式という性格を考えるなら、やはり縦縞柄を選択すべきだったのではないか。シャツの袖口をボタンで留めるタイプ、ごくごく日常的なシャツを合わせていた閣僚もいたが、これはきわめて恥ずかしい装いだ。袖口はやはりカフリンクスで留めるべきだろう。また、胸ポケットにポケットチーフを挿していた閣僚はわずかひとりだけだった。帽子と手袋を携えている閣僚は皆無だ。服装文化の違いと言って済ますには、これはあまりに重要なポイントだ。ハイシルクハットとグレイの手袋を携えてはじめてフォーマルウェアとなりうるのであって、それを欠くのはネクタイを締めないのと同じである。セミフォーマルなドレスコード指定でさえ、黒のホンブルグ帽の着用が求められている。シルクハットを被らなくとも手に、手袋を嵌めなくてもやはり手にすることがドレスコードだ。ウイングカラー(立襟)のようにクラシックなシャツを選択するのであれば、なおさらなぜポケットチーフ、シルクハット、手袋を欠くのか理解に苦しむ。
DCブランド時代のファッションの窮児的な存在だったのが、ワールドやファイブフォックスであった。そのころにDCブランドを日本で一番売っていたのが、丸井の新宿店と渋谷店であった。そしてそれに次ぐのが新宿の伊勢丹であり、銀座の数奇屋橋阪急であった。とりわけ力を入れていたのが丸井の渋谷店。同店には昼も夜も若者たちがあふれ、時代のファッションを探し回っていた。当時、高感度なヤングにターゲットを絞りビジネス展開していた店に、西武シード館があった。このような時代環境の中で、丸井がDCブランドを年間どのぐらいの点数を扱っていたか。一九八五年当時の私の記録を見ると、トップにいつもランクされていたのがファイブフォックスのベイトン・プレス、コムサデモード、コムサデモードメンというブランド。常に上位にランクされていた。このころは、同時代のDCブランドメーカーでは常にファイブフォックスがトップの地位にあった。当時のアパレルのトップはレナウンでワールドは第三位。
厚手のウールのシャツ、コーデュロイの裏に皮をとりつけたコート、油と蝋で防水を施しかジャケットの類である。インディアンたちが愛用した毛皮や、厚いラシャのコートもアウトドアの労働にはうってつけだった。この類が、アメリカのカジュアルウェアの源流である。やがて第一次大戦が始まり、戦争のための機能的な服が量産される。さまざまなアウターが、より機能的に工夫され、兵隊たちが身につける。戦いが終わると服は過剰になり、軍需用品放出物販売店で売られ、余剰品が市場に流れていく。つまり、カジュアルウェアの成り立ちは労働着と戦闘着で、このふたつの衣類の共通点は、動きやすさ、機能性、アウトドア用ということである。そこでまた、カジュアルウェアのふたつの定義ができあがる。
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